広島、千葉BT(ビジネス ベーシックトレーニング)

3月の下旬にこころプロ(慧眼塾)主催のBTプログラム研修を行いました。

毎年行っているビジネスベーシックトレーニング研修です、目的は社会人としての

基本的な考え方、行動、自己啓発、心理カウンセリング、などを取り入れた研修です。

私が関係している以上当然基礎体力の向上という項目もプログラムに入ります。

今回は、1週間広島の呉で行い、宮崎に帰った次の日から士学館の強化合宿があり、

それを終えた次の日から千葉で1週間の研修とかなりハードなスケジュールでした。

呉は戦艦大和が作られたところです、「大和ミュージアム」があり、せっかくなので

空いている時間で行ってみました。

開講式がまず行われました。東京から帰ってきて、宮崎で新しいスタートをきった

吉田佳奈指導員も参加しました。あとは、最近私生活で躓いたトド西も参加です。

初日は、開講式のあとオリエンテーションを行い、声を出すために必要な腹筋を鍛え

るところまでをやり、夕食でした、もちろん自炊で研修生たちが協力して作ります。

ここで異様にはりきったのが、トド西君です、食べるためには作るところからという

事ではりきって仕事ではありえないテンションで指示を出していました。

食べる段階で、彼にこの研修中に5㌔落とすことを言い渡し、炭水化物は皆の半分と

いう命令を下しました。

朝は6時から脳を刺激するための軽い運動からスタートです。毎回運動不足の人たち

が多いので怪我を防ぐためにストレッチも入念に行いました。

このプログラムの恒例の30㌔歩行訓練です。歩行リーダーを決めてアバウトな地図

を持たせてリーダーとしての役割個人個人の精神力、助け合う心、人を思いやる心

などを養う事を目的としたのがこの歩行訓練です。昼過ぎのスタートですが、道を間

違ったり、山道などを歩いたりで帰還するのは夜中でした。

この研修では人間力をつける事、何より「自行」をスローガンに掲げています、それ

は何に対しても「自らが決意をもって行う」という事です。何事も人から言われて動

くのではなく自らの意志で、決意をもって行動すると、同じことをやるにしても結果

違います。現代はプロセスより結果を求められることが多くなっています、しかし自

分で考えて行動することはプロセスも身に付きます、今回の参加した人たちはポテン

シャルが高い人が多くこちらの方も楽しませてもらいました。

しかし、彼らにとってはぎりぎりのところまで追い込まれて、今迄やったことがない

ようなトレーニングをさせられてかなりタイトな時間だったと思います。

心理テストで自分のこともよく分かったはずなのでしっかりと考えて素晴らしい人生

を歩いてもらいたいと思います。初めて今回士学館から吉田佳奈とトド西が参加をし

ふたりとも考えを新たにしたようです、しかしトド西君は自分ではかなり体重がへり

すっきりしましたと言っていますが、勘違いだと思います。士学館の方々は帰って来

た西君をみて判断してください。

来週からは千葉です、人数も20人と増えますのでどんな人たちが来るのか楽しみです。

 

フリーマーケット

昨日木花の自然休養センターでフリーマーケットが士学館の父母会の方々

が中心となっていただき開催しました。

木花の自然休養村センターで毎年「楽市楽座」というイベントを開催をしていまして

そのイベントに参加をさせて頂きフリーマーケットを行っています。

今年も父母会会長の中原さんが中心となってお父さんお母さんたちが協力をして楽し

いフリマになったようです。売上金は子供たちの大会時の遠征費用や合宿のやイベン

ト等での協力金として活用をしています。今回も多数の商品が出ていました、私も服

を何点か出品しましたがプレミアまではつかなかったようです。

休みの日の朝の早い時間から出て頂き1日費やしていただき本当にありがとうございます。

道場生一同さらに頑張って精進をして恩返しをしたいと思っております。

吉田佳奈士学館復活

3月1日に吉田佳奈が宮崎に帰ってきました。5年程東京でヘアーと

メイクの勉強をしていて今度宮崎で活動をすることに決めて帰っました。

昨日都合のつくメンバーで帰郷祝を行いました、その際早速佳奈の口から今年の

12月にある九州硬式空手道連盟の大会で優勝をするという言葉が出てきました。

前向きな姿勢は変わっていないようです、小学校2年生から空手をはじめ6年生

までは大会でもあまりいい成績が残せなかったのですが、負けず嫌いな性格と稽

古に対して熱心でしたので6年生の頃から勝てるようになり中学校で活躍をする

ようになり空手道で強豪高校の第一高校に特待生で入り全国大会等に出場してい

ました。第一高校の稽古の量は日本一と言われるほどでそれを3年間やり通した

事が素晴らしいと思うし、今でも本人の自信になっているようです。

そうはいっても5年間近いブランクがあるのでまずは基礎体力ずくりから始める

事にして日曜の朝稽古から新たなスタートを切りました。

もう学生ではなく社会人であり、東京で培ったヘアー、メイクの腕をさらに磨い

て宮崎で近いうちに開業をするという事なので皆さん応援をしてやってください。

昨夜の飲み会の席で、金井指導員が佳奈に俺が1番目の客になってやるから今度

頼むぞ、と威張っていっていましたが、彼は髪がないことを忘れていたようで、

すぐに却下になりました。髪があって美しくなりたい方よろしくです。

2017年九州硬式空手道連盟総会番外編

2月25日、26日で熊本県八代市で九州硬式空手道連盟の総会が行なわれました。

25日の7時からでしたが、私達(桃井、高野、湯浅、桃井、吉田、)の5名は

宮崎を5時30分に出るつもりでしたが、仕事が長引いてしまい30分以上出発が

遅れました。吉田君は現在長期の出張で福岡に居るので福岡からの参加でした。

懇親会への参加が1時間近く遅れてしまい皆さん出来上がっていました。大変申し訳

ありませんでした。ただ土地勘が全くないので新八代駅の前にあるホテルから宴会の

場所までタクシーで行きましたら1500円、そこから2次会がセットしてあり遅れ

たこともありそこに移動するタクシー代が3000円、そこからホテルまでがなんと

6300円もかかり、宮崎であればこのタクシー代で宮崎市内から都農町ぐらいまで

は行けるのではないかと皆でぼやきました。だからと言って誰も?代を出そうとはせ

ず当然のように私が出させていただきました。但しお酒を飲まない紳六と湯浅君はな

んとわれわれをほっておいて電車でホテルまで帰り350円だったという事を翌朝き

きました。高野、吉田両名が怒っていました。

そして、私との出張や旅にはもれなく朝の稽古がついてくるので、日頃不摂生な生活

をおくっている者、昨晩今日のことを考えずにはしゃいで飲みすぎた者などには、私

の念入りのストレッチ等が加算されます。プラス今回は無駄に思える?代の恨みもあ

ります、しかし今回は年齢層が高かったのであまり面白くはありませんでした。

 

 

空手の日part2

先だって美郷町に行きました。まずは副町長の岩倉さんとお会いする

約束をしていたので、役場に伺いました。

空手の日を行うにあたって単にイベントを開催するだけではなく、空

を修業をするにも宮崎は大変素晴らしいところだと私は思っていて、

その素晴らしさも一緒に発信をしていきたいと思っており、その為に

も宮崎市だけではなくいろいろな市町村とのパイプを作りたく相談に

伺いました。岩倉副町長が学校の先輩になるのでいろいろと勉強をせ

て頂くのも一つの理由ですが、その中で今迄全く知らなかったことが

あり驚きました。

北郷の中学生で沖縄のエイサー太鼓をやっているとの事で、毎年沖縄に行ってエイサ

ーを習ったり沖縄から子供達を呼んで交流をしているとの事でした。

沖縄のエイサーには空手の技も取り入れているよねと岩倉さんに言われてびっくりし

ました。まさか日向でも奥地になる地域がそのような交流を毎年行っているとは私の

認識が甘かったなと思いました。しかしその時には協力をしていただけるとの言葉を

もらい一つ前進したような気になりました。やはり労力を惜しまずに自分の足で回る

事が大切な事だと改めて思い気持ちを引き締めました。

写真は西郷の温泉です。

空手の日を宮崎で

10月25日が「空手の日」です。空手の発祥の地である沖縄県が空手の日

として制定しています。今、空手の競技性が多く取り上げられていて、その

本質的な精神、歴史、由来などがおろそかになっています。空手がなぜ今の

現代に必要なのか、空手道の精神とは何なのかなど表面的なことは知ってて

も理解をしていない方々が多いのではないかと思います。沖縄の先生方も今

伝統空手を修業に来るのは外国人ばかりです、と話をされます。実際に空手

の日もインドやブラジルなど外国では制定してやっていても日本国内でやっ

ている県はどこにもありません、これは日本人として憂慮すべきことではな

以下と思い規模は小さくてもまず今年から第一歩を踏み出したいと考えて行

動をしています。昨日宮崎市長に実行委員のメンバーで会いました。今後の

活動の指針を決定する為に市長から助言をいただきました。

西君お江戸に行く

2月19日に東京の品川で日本硬式空手道連盟の総会と新年会があり私も常任理事

ですので出席をしてきました。そのことに関しては別にしっかりとお伝えをします。

今回は西君がお江戸に(東京)に行ったことがまだ一度もないとポチのような目で

訴えてきましたので動向をさせました、その記録です。

私も久々にあちこちと観光者の気持ちになり、会議が終わり御徒町の

アメ横、上野公園に行き私の東京の友人と合流をしてなぜか北海道の

店に入り夕食を取りました。次の日朝は朝食の会場が空くのを待って

朝飯を食べ(彼はバイキングスタイルの朝食が気に入り大盛りで食し

ていました。)7時30分にはホテルを出、彼が行きたがっていたと

ころが二つあり、靖国神社と秋葉原のメイドカフェでした。

まず靖国神社に連れて行ったところ、資料館とうがあるのですが、私

は何度か見ているので外で待っているので見てきなさいと言ったとこ

ろ約2時間待たされました。修学旅行生のような彼を見ていると怒れ

ませんでした。

昼食を弟子で東京で頑張っている吉田佳奈と食べる約束をしていたので秋葉原で済ま

そうと佳奈に秋葉原に来るように言うと沖羽原には一度しか言ったことがなくよくわ

からないとの事なので駅の周辺で食べることにしました。さすがにメイドカフェなる

物は行く勇気が私になかったので無視をしました。彼曰くまた今度きますとの事でし

た。ただ佳奈と昼食を食べながらいろいろと話をしていたら、3月に東京を引き払っ

て宮崎に帰ってくるとの事なのでうれしくなり、3月5日の日曜日の朝稽古から始め

るように約束をしました。右の写真は日本硬式空手道連盟の千葉先生と奥様、四国の

硬式連盟の笹岡会長、九州硬式空手道連盟の甲斐会長と私です。

佳奈と別れて羽田に行こうとしたら、浅草には行かないのですかと西君が言ってきた

ので、さすがに疲労困憊だったので今度またねとさとしました。

それから羽田に着いたところ、強風の為に飛行機が何便か欠航になっており、6時

55分発の便が飛んだのは8時40分でした。それでも到着の時間が遅くなると宮崎

空港が閉まってしまい場合によっては引き返すこともありますとのアナウンスがあり

最後まで疲れるたびになりました。私が一人の時にはこのようなトラブルはないので

同行をさせた西の日頃の行動に問題があると思い、待つ間に人生と空手道について語

ってやりました。今度は4月の全国大会の時になりますので同行者の人選をもう一度

考えたいと思いました。

オニツカ君コンサート in 冥途カフェ

2月11日に私の幼馴染(3歳からの付き合い)のコウタロウ君がコンサートを

するという事で久しぶりに出かけてみました。

タイトルは「冥途カフェ」タイトル名の由来は開催の場所を見て頂ければわかりま

す。このお寺には縁があり約20数年前私が叢林塾の本部師範代をしていた時に、こ

のお寺で合宿をさせて頂いたことがあります。食事も精進料理だったのを覚えていま

す。このお寺の今の住職さんが先輩で妹さんが高校の同級生でした、そんなご縁で合

宿をさせて頂いたのですが、お寺さんなので当然お酒、たばこもダメでして、しかし

皆若かったので夜中にこそこそとビールなどを買いにゆきお墓の中で酒盛りをしまし

た、この時の罰がこの時のメンバーに来ているのでしょう、楽な人生を歩んでいる奴

、お金持ちになったやつがいないのがその証拠です。しかし20数年たっていますの

でそろそろ事項にしていただきたいものです。

この機会に私の幼馴染であり、親友であり、空手の父兄(3人の子どもが空手をや

っていました)でもあったコウタロウ君の事を少し紹介します。

昔、昔、立和原という所がありました(現在は本郷南方)そこには母子家庭の子ども

が2人いました。その地域自体治安はあまりよくなかったのですが、長屋住まいで、

ご近所付き合いの良い江戸時代のようなところでした。

今のようにバツイチなどと言う言葉もなく母子家庭自体が今思えば非常に少なかった

時代と言えます。余談ですが日本が高度成長期でもあり、お父さんお母さん皆忙しか

ったし、何よりお母さんたちが辛抱強かったと思います。少々の怪我などでは動揺な

どせず、実際私が小学2年ぐらいの時に手を10針ぐらい縫うケガをしまして、たぶ

んお金がなかったのだと思いますが、病院ではなく今でいう支援学校が近くにあり、

そこに軍医上がりの多分医者だと思いますが、男だったら我慢しろと言われ麻酔なしで

縫われたことを覚えております。かなり痛かったのですが泣いたら放り出すと医者のじ

いさんが言うので歯を食いしばり耐えた者でした。

そんな風にのびのびとした小学校時代を終え、中学校に入ったら彼は私を裏切りのびの

びの生活から正しい学生生活に切り替え勉学を人生に取り入れました。

そのころ世の中は、フォークソングが流行っていて、この時代の少し前は、60年安保

などで世の中が騒がしく、フォークソングもメッセージソングのような歌が多かったの

ですが私たちの頃は、陽水、拓郎、かぐや姫などが主流でした、よってそれに感化され

た人たちがやたらギターをもってきて弾いていました。コウタロウ君が音楽に傾倒した

のもこの頃で、井上陽水のコピーをよくしていたような気がします。私も一応時流にの

ろうとクラッシックギターをフォークギターと騙されやすくで手に入れましたが、ハイ

コードが出た時点で指が思うように動かずに、空手道を志す人間は時代に流されてはい

けないと自分を戒めその世界から姿を消しました。ただの当時彼は近くの公民館をかり

人を集めて自主コンサートのようなものをやっていましたのでそれはそれでたいした行

動力だなと感心しておりました。この時私はお百姓さんからコメを刈り取った田ンぼを

借りてその後に生えてくるしって米と言いますがそれを手で取って精米所にもっていっ

てお金を稼いだり、野山を駆け巡っていました。彼は国立都城高専学校の進学しブラス

バンド部の部長さんになりました。卒業して看板やさんになり福岡で修業して現在は宮

崎で「オニツカサイン」という看板やさんをしています。この福岡時代に彼の性格に少

しずつ変化が起こり現在の変態おやじに変貌をしました。基本この自称宮崎ナンバーワ

ンのミュージシャンによるとお客さんが少なくても聞いていなくても歌えれば良いとの

事なので自己満足の世界だなと思います。さらに年一回自分の歌をCDにして(自費製

作)います。最初は1枚1,000円で買っていましたが、最近気づきましたが人と場所によ

ては5枚で1,000円とかにしているようです。しかし彼らを見ていていつも思いますが、

自分の好きなことをやり続けている人達なので、その場を楽しんでいるし自分に自信を

もってやっているので見ているこちらも元気になります。彼の場合はどんな時でも俺を

見に聞きに来てくれているお客さんだという勘違いがありますが、その勘違いも一つの

長年の積み重ねによる自信からくるものだと思います。正直私も今回久しぶりにコンサ

ートに行きましたが、道は違いますが私も頑張ろうという気合が入りました。

集まったミュージシャンの人たちもほとんど私と同年配の方々で昔ヤマハのポップコー

ンという審査会のようなのがありましたがそこで優勝した人などがおりましたが、皆さ

ん手弁当でやっている人達ですが本当に音楽が好きな人達です。皆さんいろいろと苦労

されたこともあったと思いますが、音楽と生活をいいバランスで生きている人達だなと

思います、ただ長年コウタロウ君の音楽関係の友達を見ていますが、結構変わった方が

多いのも事実です。最後の写真の右端に立っている人が先輩でもありこの寺の住職さん

で自身もミュージシャンです。その隣の男がコウタロウ君です。彼のCDがほしい方は

私に連絡をしてください。

全国版の経済紙に載りました。

去年の10月か11月に取材の申し込みがあり女優の島田洋子さんからインタビューを受けました。

私も忘れていたのですが昨日雑誌社の方から雑誌が送られてきてあらためて内容を見直しました。宮崎県

で其の業界の代表者を一人掲載をするという企画だったと思いますが、なぜ私だったのかはよくはわかり

ません。ただ、空手だけではなく一社会人としてちゃんと仕事をしていますよというアピールにはなった

かなと思っていますが、先日少し自慢げに道場で金井指導員に見せた所「これは嘘だ、館長のこうゆう人

としてのものなど読みたくはない、外れた生き方ではなくては」というお言葉をいただきました。

池田君などは将来性のある企業人なので単純にすごいですねと言ってくれましたが、同じ優秀な人間同士

では分かり合えることでも、金井君のように特殊な人間には理解を求めてはいけないと実感しました。

彼の望むようなことをやって生きたとしたら、彼は面白がるかもしれませんが他の人私に近かずかなくな

ることでしょう、危うく彼の罠にはまるところでした。

沖縄の旅

今年初めての沖縄です。今年は宮崎で九州で初めての「空手の日」を10月22日

に開催を計画していますし、沖縄に空手会館も3月に完成しますので気を引き締め

て稽古をしてきました。

以前も紹介をしましたが、10数年前に指導をしていた戸高君と新年会の約束をしていましたので、彼

の知っているお店で新年会をやりました。今回はお嫁さんも連れて来いと言っていたのでお嫁さんや、

友人たちも一緒に楽しく盛り上がりました。ただ戸高君が松葉杖をついておらわれたのでどうしたと聞

いたところ今年に極真会の世界大会が沖縄で開催されその優勝者と去年の暮れにスパーをやって靭帯が

断裂をしていたとの事でした。しかし切れていることに最近まで気が付かなく、足がかくかくするので

病院に行ったところ切れていたと言っていました、この新年会の4日前に手術をして入院をしていたら

しいのですが「先生との約束がありましたので退院してきました」というので内心は昔の馬鹿な連中が

(私を含め)まだここに生きていたと思いうれしくなりましたが、奥さんの手前無茶はするなと言って

いる常識が身についた私がいました。彼も若いころからいろいろありましたが、彼なりに考えてしっか

りと成長をして自分の空手をやり続けているところに私も元気をもらいます。

リハビリを始めて以前のように動けるのに約1年近くかかるらしいのですが、これからは自分の強さを

求めるだけではなく後進の指導にも頑張ってもっと上に行ってほしいものです。