空手の日part2

先だって美郷町に行きました。まずは副町長の岩倉さんとお会いする

約束をしていたので、役場に伺いました。

空手の日を行うにあたって単にイベントを開催するだけではなく、空

を修業をするにも宮崎は大変素晴らしいところだと私は思っていて、

その素晴らしさも一緒に発信をしていきたいと思っており、その為に

も宮崎市だけではなくいろいろな市町村とのパイプを作りたく相談に

伺いました。岩倉副町長が学校の先輩になるのでいろいろと勉強をせ

て頂くのも一つの理由ですが、その中で今迄全く知らなかったことが

あり驚きました。

北郷の中学生で沖縄のエイサー太鼓をやっているとの事で、毎年沖縄に行ってエイサ

ーを習ったり沖縄から子供達を呼んで交流をしているとの事でした。

沖縄のエイサーには空手の技も取り入れているよねと岩倉さんに言われてびっくりし

ました。まさか日向でも奥地になる地域がそのような交流を毎年行っているとは私の

認識が甘かったなと思いました。しかしその時には協力をしていただけるとの言葉を

もらい一つ前進したような気になりました。やはり労力を惜しまずに自分の足で回る

事が大切な事だと改めて思い気持ちを引き締めました。

写真は西郷の温泉です。

空手の日を宮崎で

10月25日が「空手の日」です。空手の発祥の地である沖縄県が空手の日

として制定しています。今、空手の競技性が多く取り上げられていて、その

本質的な精神、歴史、由来などがおろそかになっています。空手がなぜ今の

現代に必要なのか、空手道の精神とは何なのかなど表面的なことは知ってて

も理解をしていない方々が多いのではないかと思います。沖縄の先生方も今

伝統空手を修業に来るのは外国人ばかりです、と話をされます。実際に空手

の日もインドやブラジルなど外国では制定してやっていても日本国内でやっ

ている県はどこにもありません、これは日本人として憂慮すべきことではな

以下と思い規模は小さくてもまず今年から第一歩を踏み出したいと考えて行

動をしています。昨日宮崎市長に実行委員のメンバーで会いました。今後の

活動の指針を決定する為に市長から助言をいただきました。

西君お江戸に行く

2月19日に東京の品川で日本硬式空手道連盟の総会と新年会があり私も常任理事

ですので出席をしてきました。そのことに関しては別にしっかりとお伝えをします。

今回は西君がお江戸に(東京)に行ったことがまだ一度もないとポチのような目で

訴えてきましたので動向をさせました、その記録です。

私も久々にあちこちと観光者の気持ちになり、会議が終わり御徒町の

アメ横、上野公園に行き私の東京の友人と合流をしてなぜか北海道の

店に入り夕食を取りました。次の日朝は朝食の会場が空くのを待って

朝飯を食べ(彼はバイキングスタイルの朝食が気に入り大盛りで食し

ていました。)7時30分にはホテルを出、彼が行きたがっていたと

ころが二つあり、靖国神社と秋葉原のメイドカフェでした。

まず靖国神社に連れて行ったところ、資料館とうがあるのですが、私

は何度か見ているので外で待っているので見てきなさいと言ったとこ

ろ約2時間待たされました。修学旅行生のような彼を見ていると怒れ

ませんでした。

昼食を弟子で東京で頑張っている吉田佳奈と食べる約束をしていたので秋葉原で済ま

そうと佳奈に秋葉原に来るように言うと沖羽原には一度しか言ったことがなくよくわ

からないとの事なので駅の周辺で食べることにしました。さすがにメイドカフェなる

物は行く勇気が私になかったので無視をしました。彼曰くまた今度きますとの事でし

た。ただ佳奈と昼食を食べながらいろいろと話をしていたら、3月に東京を引き払っ

て宮崎に帰ってくるとの事なのでうれしくなり、3月5日の日曜日の朝稽古から始め

るように約束をしました。右の写真は日本硬式空手道連盟の千葉先生と奥様、四国の

硬式連盟の笹岡会長、九州硬式空手道連盟の甲斐会長と私です。

佳奈と別れて羽田に行こうとしたら、浅草には行かないのですかと西君が言ってきた

ので、さすがに疲労困憊だったので今度またねとさとしました。

それから羽田に着いたところ、強風の為に飛行機が何便か欠航になっており、6時

55分発の便が飛んだのは8時40分でした。それでも到着の時間が遅くなると宮崎

空港が閉まってしまい場合によっては引き返すこともありますとのアナウンスがあり

最後まで疲れるたびになりました。私が一人の時にはこのようなトラブルはないので

同行をさせた西の日頃の行動に問題があると思い、待つ間に人生と空手道について語

ってやりました。今度は4月の全国大会の時になりますので同行者の人選をもう一度

考えたいと思いました。

オニツカ君コンサート in 冥途カフェ

2月11日に私の幼馴染(3歳からの付き合い)のコウタロウ君がコンサートを

するという事で久しぶりに出かけてみました。

タイトルは「冥途カフェ」タイトル名の由来は開催の場所を見て頂ければわかりま

す。このお寺には縁があり約20数年前私が叢林塾の本部師範代をしていた時に、こ

のお寺で合宿をさせて頂いたことがあります。食事も精進料理だったのを覚えていま

す。このお寺の今の住職さんが先輩で妹さんが高校の同級生でした、そんなご縁で合

宿をさせて頂いたのですが、お寺さんなので当然お酒、たばこもダメでして、しかし

皆若かったので夜中にこそこそとビールなどを買いにゆきお墓の中で酒盛りをしまし

た、この時の罰がこの時のメンバーに来ているのでしょう、楽な人生を歩んでいる奴

、お金持ちになったやつがいないのがその証拠です。しかし20数年たっていますの

でそろそろ事項にしていただきたいものです。

この機会に私の幼馴染であり、親友であり、空手の父兄(3人の子どもが空手をや

っていました)でもあったコウタロウ君の事を少し紹介します。

昔、昔、立和原という所がありました(現在は本郷南方)そこには母子家庭の子ども

が2人いました。その地域自体治安はあまりよくなかったのですが、長屋住まいで、

ご近所付き合いの良い江戸時代のようなところでした。

今のようにバツイチなどと言う言葉もなく母子家庭自体が今思えば非常に少なかった

時代と言えます。余談ですが日本が高度成長期でもあり、お父さんお母さん皆忙しか

ったし、何よりお母さんたちが辛抱強かったと思います。少々の怪我などでは動揺な

どせず、実際私が小学2年ぐらいの時に手を10針ぐらい縫うケガをしまして、たぶ

んお金がなかったのだと思いますが、病院ではなく今でいう支援学校が近くにあり、

そこに軍医上がりの多分医者だと思いますが、男だったら我慢しろと言われ麻酔なしで

縫われたことを覚えております。かなり痛かったのですが泣いたら放り出すと医者のじ

いさんが言うので歯を食いしばり耐えた者でした。

そんな風にのびのびとした小学校時代を終え、中学校に入ったら彼は私を裏切りのびの

びの生活から正しい学生生活に切り替え勉学を人生に取り入れました。

そのころ世の中は、フォークソングが流行っていて、この時代の少し前は、60年安保

などで世の中が騒がしく、フォークソングもメッセージソングのような歌が多かったの

ですが私たちの頃は、陽水、拓郎、かぐや姫などが主流でした、よってそれに感化され

た人たちがやたらギターをもってきて弾いていました。コウタロウ君が音楽に傾倒した

のもこの頃で、井上陽水のコピーをよくしていたような気がします。私も一応時流にの

ろうとクラッシックギターをフォークギターと騙されやすくで手に入れましたが、ハイ

コードが出た時点で指が思うように動かずに、空手道を志す人間は時代に流されてはい

けないと自分を戒めその世界から姿を消しました。ただの当時彼は近くの公民館をかり

人を集めて自主コンサートのようなものをやっていましたのでそれはそれでたいした行

動力だなと感心しておりました。この時私はお百姓さんからコメを刈り取った田ンぼを

借りてその後に生えてくるしって米と言いますがそれを手で取って精米所にもっていっ

てお金を稼いだり、野山を駆け巡っていました。彼は国立都城高専学校の進学しブラス

バンド部の部長さんになりました。卒業して看板やさんになり福岡で修業して現在は宮

崎で「オニツカサイン」という看板やさんをしています。この福岡時代に彼の性格に少

しずつ変化が起こり現在の変態おやじに変貌をしました。基本この自称宮崎ナンバーワ

ンのミュージシャンによるとお客さんが少なくても聞いていなくても歌えれば良いとの

事なので自己満足の世界だなと思います。さらに年一回自分の歌をCDにして(自費製

作)います。最初は1枚1,000円で買っていましたが、最近気づきましたが人と場所によ

ては5枚で1,000円とかにしているようです。しかし彼らを見ていていつも思いますが、

自分の好きなことをやり続けている人達なので、その場を楽しんでいるし自分に自信を

もってやっているので見ているこちらも元気になります。彼の場合はどんな時でも俺を

見に聞きに来てくれているお客さんだという勘違いがありますが、その勘違いも一つの

長年の積み重ねによる自信からくるものだと思います。正直私も今回久しぶりにコンサ

ートに行きましたが、道は違いますが私も頑張ろうという気合が入りました。

集まったミュージシャンの人たちもほとんど私と同年配の方々で昔ヤマハのポップコー

ンという審査会のようなのがありましたがそこで優勝した人などがおりましたが、皆さ

ん手弁当でやっている人達ですが本当に音楽が好きな人達です。皆さんいろいろと苦労

されたこともあったと思いますが、音楽と生活をいいバランスで生きている人達だなと

思います、ただ長年コウタロウ君の音楽関係の友達を見ていますが、結構変わった方が

多いのも事実です。最後の写真の右端に立っている人が先輩でもありこの寺の住職さん

で自身もミュージシャンです。その隣の男がコウタロウ君です。彼のCDがほしい方は

私に連絡をしてください。

全国版の経済紙に載りました。

去年の10月か11月に取材の申し込みがあり女優の島田洋子さんからインタビューを受けました。

私も忘れていたのですが昨日雑誌社の方から雑誌が送られてきてあらためて内容を見直しました。宮崎県

で其の業界の代表者を一人掲載をするという企画だったと思いますが、なぜ私だったのかはよくはわかり

ません。ただ、空手だけではなく一社会人としてちゃんと仕事をしていますよというアピールにはなった

かなと思っていますが、先日少し自慢げに道場で金井指導員に見せた所「これは嘘だ、館長のこうゆう人

としてのものなど読みたくはない、外れた生き方ではなくては」というお言葉をいただきました。

池田君などは将来性のある企業人なので単純にすごいですねと言ってくれましたが、同じ優秀な人間同士

では分かり合えることでも、金井君のように特殊な人間には理解を求めてはいけないと実感しました。

彼の望むようなことをやって生きたとしたら、彼は面白がるかもしれませんが他の人私に近かずかなくな

ることでしょう、危うく彼の罠にはまるところでした。

沖縄の旅

今年初めての沖縄です。今年は宮崎で九州で初めての「空手の日」を10月22日

に開催を計画していますし、沖縄に空手会館も3月に完成しますので気を引き締め

て稽古をしてきました。

以前も紹介をしましたが、10数年前に指導をしていた戸高君と新年会の約束をしていましたので、彼

の知っているお店で新年会をやりました。今回はお嫁さんも連れて来いと言っていたのでお嫁さんや、

友人たちも一緒に楽しく盛り上がりました。ただ戸高君が松葉杖をついておらわれたのでどうしたと聞

いたところ今年に極真会の世界大会が沖縄で開催されその優勝者と去年の暮れにスパーをやって靭帯が

断裂をしていたとの事でした。しかし切れていることに最近まで気が付かなく、足がかくかくするので

病院に行ったところ切れていたと言っていました、この新年会の4日前に手術をして入院をしていたら

しいのですが「先生との約束がありましたので退院してきました」というので内心は昔の馬鹿な連中が

(私を含め)まだここに生きていたと思いうれしくなりましたが、奥さんの手前無茶はするなと言って

いる常識が身についた私がいました。彼も若いころからいろいろありましたが、彼なりに考えてしっか

りと成長をして自分の空手をやり続けているところに私も元気をもらいます。

リハビリを始めて以前のように動けるのに約1年近くかかるらしいのですが、これからは自分の強さを

求めるだけではなく後進の指導にも頑張ってもっと上に行ってほしいものです。

成人の祝

今年成人になる子(妃加梨ちゃん)を祝いました。

この前まで小学生だと思っていたのがもう成人とは、年月の経つ速さを実感しました。

いつも思う事ですが、女の子は空手道をやって来た精神で自分を磨き、誇りをもって生きて、いい男性

と一緒になってもらいたいと切に願います。後ろの真ん中のと右端の眼鏡のおじさんは彼女たちのパパ

(本当の)です。親子で道場生です。後ろに30年ほど前の服を着ている左端の男性は、背後霊です。

写真を見て皆ビックリしました、何か心残りがあったのでしょう。

この子たちの結婚式に出る約束をしましたので、それまでに新しい技を覚えて楽しませたいと思います

今からの人生なので、夢をもって明るく生きてほしいです、紹介された彼氏がつまらない奴でしたら、

父親にかわって私が成敗をします。

みつけ

青島

29年1月3日に茂君から連絡が入り青島神社にお参りに行くのでついてこいとの

下知が下りました。朝5時30分に木花の運動公園にこいとの事です。

去年まで何をするにしても後ずさりをしていまいち行動力がなかった彼ですが、今年の目標は人格破壊

と訳の分からない事を言っていたのですが、青島神社にお参りをしようと境内にさしかかったとたんに

挙動不審になりうろうろし始めて何事かとみていると、いつものようにもようしてきてトイレを探して

いたのです、面倒な人だなとトイレを教えるとなんと天罰でしょう、なんと青島のトイレは有料でした。

そこから彼の顔色が変わりお金を探しましたがあるわけもなく、とりあえずトイレに忍び込みましたが

神(紙)はなくそれ以上は言えません。それから参拝をして帰路に就いたところ今迄の彼ではないよう

な行動をとり始めまして急にハイな男になりました。

3分ぐらいは見ていましたが、やはり基本面白くはない奴なので飽きてしまい、次のネタを要求しまし

ましたが全く面白くなく面倒なので成敗をして青島の浜に埋めてやりました。興味がある方は青島にみ

に行ってください!終わり

審判講習会

1月5日に今年初めての審判講習会を行いました。

湯浅師範代が中心となり、指導員クラスが集まり動作の確認から実践的な練習を行いました。

大会を充実させていく中で審判員の育成とレベルの向上は急務です。

審判の経験がないものもいたり、仕事や、風邪でこれないものなどもいますが皆一生懸命にやってくれ

ています。合わせるのが大変ですが、去年の暮れから集中して審判の練習をやってくれているので今年

の半ばまでにはそれなりのレベルになると思います。気がかりは湯浅師範代が吉田指導員や金井指導員

達のような人の苦労を何とも思わない冷血な人たちにつぶされないかです。負けるな茂君!

29年初回士学育成会(父母会)

昨日、1月5日に士学館の父母会会長(中原さん)を中心に北支部道場で

育成会が行なわれました。荒武さんが議長で進行しました。

議題は、昨年の収支報告から始まり大会遠征費用やイベントなどを助成するための財源確保のためのフ

リーマーケット、物販をどうするか、全国大会、強化合宿、ふれあい合宿、士学体育大会、等について

です、皆さん忙しい中集まっていただきましてありがとうございます。

今回は役員の方が後退されて新メンバーで初めての集まりでした、総会長の中原さん、今村さん、

南支部の、近藤さん、大村さん、中央支部の日高さん、北支部の朝國さん、井野さん川南支部の黒木さ

ん、今年もご苦労をおかけしますがよろしくお願いします。