宮桜会・県北地区日大わっしょい

今迄も何度か掲載をさせて頂いています、「宮崎日大高校同窓会宮桜会」の年に1度のイベント

「日大わっしょい」が10月25日に宮崎で行われました。去年から県北地区(日向、延岡)で

もおこなうという事で11月の15日に第一回の実行委員会を若杉日向支部長、日高延岡支部長

を中心に行われました。出席者は黒木会長、桃井副会長です。第一回を命を懸けて開催をしてい

ただいた、塩月先輩に報いるためにもこれから継続して行っていきたいと私は思っております。

その意思を2人の支部長が継いでくれると信じています、去年よりも大きくだとか派手にやろう

などではなく、縁あって同じ高校で学んだ者同士が年1回は集まり卒業してからの課外授業にな

れば一番いいのかなと思います。卒業してそれぞれの見てを歩いているものが集まりその経験や

苦労などを後輩などに話すことでその経験が生きることにもなると思いますので、しばらく学校

のことが頭から離れていた人たちも参加をしてください。日程は平成27年2月21日です。

場所、時間等が詳しく決まりましたら報告をします、尚、日向、延岡にお住いの卒業生の方で

お手伝いをしていただける方はご連絡をください。

鹿児島への想い

今回も姉の治療のための立ち合いで呼ばれて鹿児島医療センターに行ってきました。

この日も待合の時間があり久しぶりに、仕事、空手抜きの鹿児島散策をしてみました。私の好きなところは結構

ありまして、よく考えると年代によって思いが強い弱いというのがあるなと思います。簡単に言いますと子供の

ころ、幼少のころから小学生ぐらいまでは、現在の日置市(吹上町)での田園風景や暑い夏の日に田舎道を一人

でふらふらと歩いている自分、(基本一人での行動が多かった。協調性がない子供)中学生の頃は、親戚の家が

ある薬師町、荒田町など市内です、高校はなくて(宮崎での仕事?が多忙)県外に出て、鹿児島で就職をした

20歳前後はなぜか串木野町と甲突町が好きでした、訳は言えませんが、その後指宿である「菜の花マラソン」

に出るようになって指宿、枕崎、が好きになり、その後は城山公園付近と水族館があるあたりが好きになりま

した。それぞれにいろいろな思い出やエピソードがありますが、それは私の人格を問われることにもなります

ので伏せさせていただきます。

しかし、姉の病院が城山公園の下にあることもありこの辺りをよく歩きますが、1~2時間歩くだけでも鹿児島

の人立ちのプライドや気質がわかるような気がします。何かしら郷愁にもかられますが、頑張ろうという気にも

なるスポットです、ただこの日は灰が降った後で風が強くて舞い上がる灰で顔と口の中がじゃりじゃりになりま

した。

 

士学農場初めての命です。

今日、農園に土づくりをしようといってみたら、この間何も知らずにとりあえず種をばらまいていた

所からなんと芽が出ていました。久々の感動です、とりあえず本に書いてあったように土に肥料をや

ってきましたが、この小松菜がこの先皆さんの口に入るでしょうか、大きな期待をせずに待っていて

ください。老化が始まって、老眼になってきている、前田顧問、高野相談役、湯浅師範代、渡辺さん、

坂本君、その他大勢の人の為にブルーベリーの苗を植えました。この農園は趣味ではなく、それぞれ

の今後の生活、老後の生きがい、健康維持など切実な思いがありますので暖かく見守ってください。

また報告をします。

鹿児島での演武(祝武)

昨日(11月2日)に私の知人が結婚式を行う、その席で空手の演武をしてくださいとのことでした

ので私の弟子6名と出席して演武(祝武)を行いました。たまたまその日は鹿児島アリーナで「拳心

会秋季大会」が行われる日でしたので、鹿児島市の西と東を行ったり来たりの忙しい一日でした。

新郎(野田君)は中学校から日向学院でバレーボールの選手で高校の時には国体の選手にも選ばれる

程のアスリートです。現在でも社会人のチームで頑張っているようです。そんなことで出席者の半分

ぐらいはバレーボールの関係者の人たちで、背の高い人たちが多い披露宴でした。

そんな中での演武でしたので少し皆が緊張気味でしたが、始めれば気合が入りいい演武ができたまし

た、皆さんにも感動をしていただきました。ふつうそれで終わるのですがなぜか式場の方か、新譜さ

んのご親戚の方かにインタビューを受けまして、さらに新譜のお父さんとおばあさんと思いますが、

お礼までいただきまして恐縮しました。演台でそおゆうのをいただきますと旅回り役者のおひねりを

頂いたようで、スポットライトがほしい気分になりました。何はともあれ皆さんに空手道を少しでも

理解していただき、喜んでいただけてのでよかったと思います。

ちなみに、(おひねりは鹿児島中央駅のお土産店街で協力してくれた人たちに鹿児島のお菓子を買って

渡しました。)それからすぐに試合会場に引き返しましたが、ちょうど試合が終わり閉会式がはじまる

所でした。結果を聞きましたら、優勝者2名、入賞者6名ととても頑張ってくれていました。(私がい

ない方がいい結果が出るのか?)詳しくは大会情報で近日中にお知らせをします。

 

恒例「日大わっしょい」

今年も恒例になりました、「日大わっしょい」が、12回卒の富岡先輩、今橋先輩が中心となり開催

されました。いつもとは少し趣向を変えて一ッ葉にあります「コテージひむか」のプールサイドが会場

になり、少し季節が外れましたが南国宮崎らしい雰囲気が出ていました。

本当は9月でこの会場は終わりだったらしいのですが、そこは良くも悪くも我が中心の日大OBですの

で頼んだらこころよく?やってくれたとの事でした。しかし毎回このイベントの広がりがあるのですが

今回は20代の人たちが参加をしてくれたり、女性の方々も増えてきているなど、例年以上にすそ野が

ひろがって来ているのが実感できました。実行委員で動く人たちは毎回大変ですがそこは母校のためと

皆さん手弁当で頑張っています。今度は日向、延岡を対象にした第2回県北地区の同窓会が開催されま

す。11月に日向か延岡で実行委員会の立ち上げがありますのでまたお知らせをします。士学館の人で

宮崎日大高校の卒業生の人がいましたら私に申し出てください。いいことが待っていますので・・・・

来年は30代の人たちが中止になり行う予定ですので楽しみにしていてください。

心の癒しと自給率を上げるための挑戦

今迄家庭菜園や農業にまったく興味がなかった私ですが、最近これからの食糧事情や生活

それから心の癒しを考えたときに、やはり自然とのふれあい、土とのふれあいが心と体を

健康にしてくれるのではないかと思い今回津倉市民農園を借りました。

まったくの素人ですので今本を見て勉強をしています。先日の日曜大会が速く終わったの

で、初めて種をもっていってみました。静かな農園で土と戯れるのもなかなか良いもので

す、これからうちの一般道場生で心にやみを抱えていて狩猟型の人間、高野、押川、金井

、高木、松本、章大、老後に間違いなく食糧危機に陥りそうな、湯浅、坂本などを参加さ

せて、農耕型の忍耐力、粘り、心の豊かさを学ばせ、人としてこれからしっかりと生きて

いくよう、老後もとりあえず飢えて死なないように準備をさせる、それから子供たちに収

穫の時などに一緒に遊べるよう、以上のことを目的にして頑張りたいと思います。

現在幸せな家庭生活を送っている道場生は、とりあえず成り行きを見守ってください。

まず今度の日曜に朝稽古の後、湯浅師範代と土つくりからやりたいと思います。

これからの作業を皆様に定期的に知らせますので、士学館の人で興味がある人は来てくだ

さい。気長にやっていきます。

今度は台風運動会

台風19号が吹き抜けていきましたが皆さん大丈夫でしたでしょうか。私の周りの方々は大きな被害

もなかったようです。週末になると台風ですので秋の風情を感じている暇もありません、私事ではあ

りますが、昨日(12日)に台風の影響が出てき始めていた時ですが各地で運動会が中止になる中

私の息子の子ども(一般的には孫とも言う)の運動会が根性で行われました。

恥ずかしながら私は空手の演武を頼まれていった以外は、子供の運動会にもまともに言ったことがなか

ったので、初体験でした、その初の体験の日が台風でした。さすがに外ではなく小学校の体育館を借り

ての運動会でしたが驚きがいくつかありました。まず台風にもかかわらず父兄の方々やおじいちゃん、

おばあちゃん、両親の兄弟のような人、お友達などすごい熱気でした、保育園生たちが教えられたこと

をしっかりとこなしていること、障害物競争だと思いますが鉄棒の逆上がりをするところがあったので

すが、皆クリアしていました、そのほかの競技もいくつか見ましたが一生懸命にやっている姿を見て、

私の空手教室の教え方に大変参考にさせてもらうこと、気づかされることがいくつもありました。まず

先生たちのご苦労もひしひしと伝わってきましたし、4歳だから5歳だからという限界をこちらで決め

ていたような気がしました、可能性は十分にあるなと気づかしてもらいました。午後からは仕事があり

見れなかったのですが保育園の子どもたちに教えられた一日でした。先生方ご苦労様でした。

台風会議(宮崎県硬式空手道選手権大会)

10月19日に行われる「宮崎県硬式空手道選手権大会」の会議を10月5日に延岡の土々呂で行いました。

台風18号が最接近している中でしたが、延岡の父兄の方々が来ていただき手伝いをしていただきましての

で思いのほか早く作業を終わることができました。九州大会の選抜も兼ねる大会なので皆さん真剣に討議をし

ました。大会のスケールも大切なことですが、大会でのマナーや参加者の礼節など武道としての大会であると

いうことにこだわりを持ち緊張の中にもすがすがしさのある大会にしたいと皆張り切っておりました。

大会まであと少しですが、宮崎県武道館で行いますので今回は宮崎のスタッフ、ご父兄の方々にご協力をお願

しなければなりませんがいつも一生懸命にやっていただけるので助かっています、今回も皆さん一丸となり成

功させようと思いますのでよろしくお願いします。

10月秋風とともに

10月になりました、1年が本当に早く感じられるのがこの季節あたりからでは

無いでしょうか、先日テレビを見ていましたら、1年が速く感じるのは、「大人に

なるにつけそれなりに皆いろいろな経験を積み社会のこともわかってきていて、

新しい発見や感動がないからだ。」というようなことを脳科学者の方が言っておら

れました。小学性のころは1学期が終わるのが長く感じられたはずだと、それは

常に新しいことが起こったり、興味がわくことが多かったり、初めての経験が多か

ったからだとも、その話を聞いて私も納得しました、年を取ると知らずに同じこと

を繰り返していて言葉を換えれば、守りに入ってしまっているのではないかと思い

ました。私も自己反省をしまして、もう一度空手の道を自分なりに追及してみよう

他の道場などにもうかがって教えを受けたいな、まだまだ私などでは現状にとどま

っててはいけないと思い、来月あたりからまだ体が何とか動くうちにそういう修業

の旅にでたい、仕事もあるので一度に長い時間は無理だが何とかやりくりをしてで

もやりたいそれがうちの空手の理念「挑戦」でもあると思い、弟子の人たちに話を

しました。そしたらある時夫婦で弟子の人がいるのですが、その嫁さんが「先生は

もう長くないっちゃが、病気で余命を宣告されたからそんなことをいいだしたっちゃ

が」といったというのを聞いて、めまいがしました。結構私としては燃えて話をした

つもりなのですが、人の受け取り方というのはさまざまだなと、私もまだまだ甘いな

と痛感した、秋の始まりでした。これから1年が充実して送れるように頑張りたいと

思いますので、勝手に殺さないでください。

名字(名前について考える日)

9月19日は名字の日です。私の名字も珍しい方だと思います少なくとも

今私が住まいしています、宮崎ではほかにはいません、私の父親が一家で

戦後、満州(現在の中国)からの引揚者でたまたまついた先が宮崎だった

ようで宮崎の出ではありません。そうゆういきさつ上以前から自分のルー

ツ(名前)に興味があったので今回自分なりに調べてみました。1225

年清和源氏である足利一族の足利義助の子、足利四郎が上野国桃井荘に赴

任し、当地の地名「桃井」を姓を名乗ったのが桃井の始まりと書いてあり

ました。ここからは私見ですがその後何代か経ていくうちに、いわゆる本

家、分家などの別れて散らばったのではないかと思います。本家事態は、

1441年結城城落城の際玉砕をし家名は途絶えているので、はっきりと

はわかりませんが、上野国群馬群の発祥で越中、能登、三河、越後などに

広がっていったのではないかとのことです。現在も西日本、四国のほうに

は桃井姓がないので私の父方のでも満州にわたる前は宮城県の仙台市だ

ったので、そちらあたりから北のほうにかけて散らばったのではないかと

思います。ただ、信濃の諏訪氏族や山城国の春原氏族の流れと3つにわか

れるようなのでもっと時間をかけなければルーツの解明は難しいようです。

ただ桃井の名前の由来は少しは分かったような気がしますので、今回はこ

んなところでよしとしようと思います。私のライフワークになるかもしれ

ないです。以上私の名字調べでした。